urara-rara’s diary

肋間動脈の損傷からの開胸手術後疼痛。日常生活を送る中いきなり背中に激痛が起き救急車で搬送。外傷以外聞いた事のない肋間動脈の損傷によるショック状態から生還しました。術後の疼痛に悩まされています。そして2019年11月に乳がん宣告

2017年11月1日ー激痛

2017年11月1日の夜、相方は明日から2週間の出張という事で夜ごはんを作るも出張準備で忙しい・・・私は先にご飯を食べて「そろそろご飯を食べる?」と声をかけると「先に食べるかなー」といいながらまだまだ準備。

できたご飯温めるかななんて思いながら、昼間冷凍庫に入れっぱなしで忘れていたビールを冷蔵庫に入れてあったのでを思い出し「よく冷えてるな~」なんて台所に立って飲んだ瞬間右の背中に激痛が走った。

 

「痛いーーー」っと叫んだものの息はできないしまっすぐ立ってる事もできない。

 

「痛い痛い」と叫んでいると相方が「大丈夫?救急病院行く?それともギックリ背中ってのもあるみたいだよ」なんて言うので

「とりあえずベッドに横になってみる」と一言言ってベッドに行くも寝る事もできないでウンウン唸っていた。そのままこれは尋常じゃない。って事で子供達とのラインで

「背中に激痛が走って尋常じゃない。明日からパパは出張なので朝ママからラインがなければ危ないって事だから電話してくれる?」と書くと(この時点では痛くてもラインできる余裕があった)

「とにかく救急病院に車で向かうべき!!!」と社会人の娘。

「俺は朝練だからライン確認できない」と大学生の息子。

「でもギックリ背中ってのも息ができないくらいらしいし・・・」と言うと

「とにかく内科で診てもらって何もなければ整形に行けばいいから早く救急病院に行って」と・・・

「わかったでも今なんとか我慢してラインできてるからもう少し様子みるね」

この時点で夜の8時半~9時くらい。

 

そして11時くらいに2度目の激痛が走ったら目が見えなくなった。

(あ、、、これはもうダメかも・・・)

相方に

「もうこれはおかしい救急車を今すぐ呼んで」

「え?救急病院に車で連れて行くよ。救急車?」なんてやり取りをしたのだが

「目が見えないなんて尋常じゃないからお願い」

と救急車を呼んでもらった。

でもこの時点でも目はまた見えるようになっていたので我慢しながら、自分の昔のレントゲン写真、お薬手帳、保険証を自分で揃えてコンタクトを外して眼鏡にするなんて準備まで出来ていた。

 

救急隊員が来た時も自分で話をして、2度激痛が走った事、目が見えなくなった事を説明しストレッチャーに乗せられたのだが、自宅の前まで救急車が入ってきてくれていなくてストレチャーで100mくらい舗装されていない道路をガタガタ寝たまま運ばれて

「痛い!痛い!無理です!」と叫んだのだがどうにもならず救急車へ搬送

救急車の中で血圧を測るもいつもくらいの100-70くらいの血圧で受け入れ先を探してくれる。

 

救急隊員さんともまだ痛いけれど喋れていた。

そして近くの大学病院が受け入れてくれるとの事で10分くらいで到着。ストレッチャーで運ばれて救急室へと、胸を超音波を診てくれると

「胸水が溜まってるみたいだね。CTしてみるからね。カテーテルで多分治せるんじゃないかな」なんて話をされて造影剤入りのCTをする。

「昔側彎の手術をしていてステンレスが入ってるのでMRIは出来ないのです。CTも気を付けてください」なんて話もこの時点でまだ出来ていた。

 

CTに入る時は(あー東芝製だぁ)なんてのも確認する余裕があった。

 

そして救急室に戻されてから、、、、先生達がCTを見ながら何かを話し合ってるが何も治療が始まらない。

(なんでだろう・・・なんでだろう)

と思いながらここで段々意識が朦朧ししてきた。

「先生助けてください」と何回か言ったのは覚えている。

相方に

「私の両親を呼んでくれる絶対お願い」

 

と言ったのも覚えている。

 

相方曰くその後「痛い痛い!」と言うたびに先生が注射してくれいたが

注射しても効かなくなってずっと「痛い痛い!」と言っていたらしい。

そして

「ほらこんなに私の手冷たいでしょ」って私が言ったのがその日の最後の言葉だったと。