urara-rara’s diary

肋間動脈の損傷からの開胸手術後疼痛。日常生活を送る中いきなり背中に激痛が起き救急車で搬送。外傷以外聞いた事のない肋間動脈の損傷によるショック状態から生還しました。術後の疼痛に悩まされています。そして2019年11月に乳がん宣告

特発性側彎

これは痛みから逃げるために自分の備忘録として書いておくブログなのでつらつらと過去の事を書いておく。

 

小学校4年で特発性側彎になってミルウォーキーブレスを日中していた自分。東海大病院に行って、ミルォーキーブレスというコルセットを作り初めて学校に行ったその日、担任の先生が私を教室の前にたたせて、こういう病気になってしまったから皆気を付けてあげてね。というような事を言った。

 

人の前でこういう事を言われる時は、頭の中を真っ白にして何も考えず何も感じず人の声も聞かないようにしていた。これは病院に行って先生達に体をあちこちいじられるときも同じだ。意識を飛ばしてここに自分はいないのだと感じないと心が折れてしまいそうだったから子供なりの防御法だったと思う。

 

このコルセットも辛く、男子にパンツの中を見られたり、先に体育の時は外すのに時間差で一人で教室で着替えたり、顎はしゃくれてくるし、骨盤は開いてしまうし通りすがりの子供には「お前みたいなの身体障碍者って言うんだぜ」って言われるわ。まぁ心の中で「絶対勉強で負けない」とずっと強く思っていたんだけど心の中だけで自分の気持ちを伝える事ができない子になっていた。

 

そもそも小学校1年の頃から左足の神経痛が痛くて夜は泣いて寝れなかったし、夜尿が酷くて小便くさい布団に寝る子だったのだが、神経痛にはお灸をしてもらったり鍼に通ったり色々したのだが大きくなってわかった事は、3才の時に昔あったはさまれるタイプのカゴ型のブランコに座っていて、近所の女の子が思いっきり漕いでいたので挟まれて左足首骨折。(親はその場にいるもおしゃべり中。昔はそんなもんだったんだろうね)ここでギブスでガチガチに固めた事によって筋肉が変なバランスでついてしまって側彎になっていたんだろうなという事。小学校1年で棒上りもできないくらい上半身にも筋肉がなかったし。習慣性のものから側彎になったのとその時多分神経だか筋肉がおかしくなって神経痛をひきおこしていたのだろう。

 

今回全然関係ないと思っていたけど左足の神経痛がぶり返していて「あぁこういう痛みがずっと続いて泣いていたなぁ」と思い、側彎も全部神経繋がってるんだなぁと。結局時々疲れると痛んでいた背中の金属入れた場所が今回の痛みにもつながっているのだもの。

 

小学校高学年になると鍼の先生に通って、近視や側彎が悪化することがなくなっていて良かったのだが中学になった時には部活等で通えなくなる。しかももうコルセットもするのが嫌でしなくなっていたが、あまり悪くならずに3年間は過ごした。しかし中学3年生でやっと初潮が来て少しずつ太りだしたが吹奏楽部だったので162cmくらいで普通に学校生活も送っていた。

高校に入った途端、なぜかバレー部に入ると、飛ぶためにかかとを刺激しただろうから身長がいきなり3か月で3cmくらい延び、体もどんどん悪化。多分身長の急激な延びに筋肉もついてかないし片手ばかり使うので酷くなったんだろうと思う。大人になってとても仲良くなったママ友も側彎だったけど吹奏楽6年間だったので悪化せずそのまま大人になって普通に子供2人産んでいるのだ。

ここで悪くならなければ千葉大に行って手術することもなかったしこんな今は誰もしていない手術で脊柱をインプラントでガチガチに固められる事もなかったのだ。

高校は一番勉強のできる高校に行きたくて行きたくていたのに、市内の高校に内申点を他人に振り分けられて行くことになったので受験なんてやる気全然なしだし、遠くの高校だったらこんな部活もせずに済んだんだろうな・・・と過去の事を思ったりする。

千葉大での入院も大変だった、ハローという頭蓋骨と腰骨にネジを植え込んで毎日1mmずつ伸ばして身長を伸ばして側彎の曲げを良くする。これが坊主にして伸ばしていくので痛い・・・

それから1か月後に手術するのだが腰骨から移植用の骨を取って脊柱にぐるぐる巻きにするインプラントの上と下を留めるのに使われた。

この時に側彎の英語の専門書を買ってもらい入院中読んでいたのだが大きくなると肺とかがつぶれて長生きしてる人が少なかった。特に酷い症例ばかり載ってはいたのだが。。。。その当時手術してくれた井上教授は「今までは大きくなって背骨が固定されたら外す手術をしていたんだけど、途中で落ちる事もあったので、一生取れないような手術にしたんだよ」と言われたのだ。今思うと骨が固まったら取れたほうが良かったのかな(笑)取れていたら子供自然分娩で産めなかったかな?

この時の入院で医師になると千葉大の先生達に宣言してきたが高校1年の夏での長い入院ですっかり勉強は遅れてしまい、数学と理科が全然追いつかない&無理矢理学校には行ったものの休み休み、なおかつ保健室登校だったりしたのだ。登校して最初のテストは下から2番目(笑)自分より悪い人がいるのかとビックリしたものだ。休みがちではあったが国語社会英語等の文系科目は普通にあっという間に盛り返したのだが国立は共通一次で数学にはまって点数が取れずに受かっていた私立文系の大学に進学。

この病気と手術をきっかけに絶対後悔しないようにやれることはなんでもやってみよう!と地元も好きじゃなく大学は自分の事を誰も知らないので楽しく楽しくてバイトしたちダブルスクールしたり海外旅行したり、友人とMBA取ってずっと女性は働いていこう!なんて大学院や留学目指す話で盛り上がったり、彼氏ができたりもう背中は一生曲がらないけど、小さいころからこんな体だと諦めてきたけどやれることでできることはやってやろうと思っていた。でも長時間の勉強や机に向かう事が背中の関係で中々できなかったりはしていた。